2026/04/29

さて、これから

前回のblogで、私の「失われた2年半」の記録は終わりです。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。


父の死からもうすぐ4カ月がたとうとしていますが、

いまだにいろんなことが片付いていません。


空き家となった実家は、もう誰も住むこともないので

いずれ売却するつもりです。

そのため、まずは家・土地の名義変更(相続)を

しなければならない。


遺産、というほどのものではないけど、

わずかながら銀行に預金もあるので、

いずれそれも兄弟で分けることになります。


諸々の手続きも結局、ほぼ私がやっています。

他の兄弟は働いていて、昼間に役所に行ったりできないから。

それだけでなく、たぶん面倒な手続きなどが苦手なのでしょう。

できない人たちに無理にやらせようとしても仕方ない。


とっとと全部終わらせて、すっきりしたいので

私が一人でやっています。

もちろん兄弟たちも私に任せると言ってるし、

頼めば協力もしてくれます。


面倒な手続きやお金の管理を私がやる代わりに

初盆やお墓の手配は弟と妹に丸投げしました。

そういう分担にしたので、お互い文句はないのです。


聞けば「相続」が決着するのに10年かかったとか、よくある話らしい。

うちは、みんなあんまり欲張らない人ばかりで

たぶん円満に解決しそうでよかった(今のところは)。

たいした遺産もなく、欲張ったところでタカが知れてるしね。


まだ気掛かりなことは続いているし、あいかわらず実家のことで

あれこれ時間を取られてはいるものの

これからは自分の生活を最優先にして、

残りの人生を悔いのないよう、楽しみながら生きていこうと思います。

2026/04/28

その後の話-回想-

たった1カ月前に母の葬儀があったばかりなのに、

またまた、今度は父の葬儀。


父の死を知らせた人たちは皆、「ええっ?」と驚く人はおらず

「あー」と言外に「予想はしていたが・・・」といわんばかりの反応でした。

やっぱり妻を亡くした夫は、わりとすぐに後を追うものらしい。

皆、そういう認識だったのでしょう。


そういえば、老人ホームから父の遺体を送り出す時、

ホームのスタッフさんが父にとっての記念の品(何とは書きませんが)を

一緒に持たせてくれて、ほんとにほんとにありがたかった。

緊急の事態であったのに、よくぞそこに気がついてくれたと。

父の生涯を象徴するようなもので、その品は棺に入れてあげました。


葬儀のあと私はいったん自宅に戻ったけれど、

すぐにまた実家に行き、父がいた老人ホームから荷物を引き上げたり

役所に行っていろいろ手続きをしたりしました。

電話ですむ手続きはなるべく電話で済ませたいのだけど、

これがまた、なかなかオペレーターにつながらず苦労しました。


そこから3カ月あまりたつ現在も、まだ全てが終わったわけではなく

中には面倒くさい手続きだの申請だのもあり、

頭を悩ませながら、1つ1つ片付けている毎日です。

2026/04/27

父の死-回想-

父はまた介護タクシーを使って、母の葬儀に参列しました。

葬儀後、老人ホームに帰ってからも、泣いてばかりいたそうです。


風邪の症状もあり、咳や痰が出てむせることがあるので誤嚥の心配があり

食事を制限して点滴で水分や栄養を補給してもらいました。

母の死から1カ月後、父も老衰で亡くなりました。


老人ホームに入ってからちょうど1年後のことでした。

その間にどんどん食が細くなり、眼も見えにくくなり

もちろん身体の自由もきかなくなっていきました。


心身ともに弱って、できないことばかり増えて苛立っていて、

仕方がないとはいえ、かわいそうでした。

いっそ認知症になって何もわからなくなった方が楽なのでは、

と思ったくらい。


母が亡くなってからは気落ちが激しく、間をあけずに母のところに行けて

よかったのでは、というのが正直な気持ちです。


叔母が「あの世で姉さんが義兄さんに『もう来たの?』と言ってるかもね」

と言ったのが、なんかおかしかったな。

でも、たぶんそうだろうと私も思いました。

2026/04/26

母の死-回想-

ここからは、あっさりと淡々と書いていきます。

(この回想記事ももうすぐ終わります。)


総合病院に緊急入院してから約2ヵ月半後、

転院先に移ってから1カ月後に母は亡くなりました。

転院先のE医院に1カ月もいたのか。

なんだかあっという間だったような気がしますが。


葬儀屋さん(というか、冠婚葬祭全てのセレモニーや

返礼品、挨拶状の手配などあらゆるサービスを用意してある)

の互助会に入ったばかりで、一度も会費を払う間もなく

さっそく割引価格で通夜・告別式をやってもらいました。


父は名ばかりの喪主で、弟も葬儀に間に合わず

私が喪主代行を務めました。


母が亡くなるまで、私はほんとにほんとに頑張った(と思う)。

悲しいとか寂しいとかいう感情よりもやりきった感が強かったです。


叔母たちと通夜や火葬場で穏やかに思い出話ができて、

むしろ楽しかった。

「ああ、いい話が聞けたなぁ。ママにも教えてあげなくちゃ。」

と思って、そこで「あ、ママはもういないんだった」と気がつく。

その繰り返しではありました。

2026/04/23

去年の11月、私はほとんど自宅にはいませんでした-回想-

10日間実家にいて、母の転院などを済ませて自宅へ。

その一週間後にはまた実家へ。


葬儀屋さんのセミナーに参加して、互助会に入会しました。

老人ホームにいる父を介護タクシーで母のいる病院へ連れていきました。

二人が会うのは、これが最後となりました。


母の妹たちや近所の仲のよい人たちが、

それぞれ病院まで母に会いに来てくれました。


母と一番仲のよかった叔母には、

看護師さんが「面会の時間制限は特別に無しにします」と

言ってくれたらしい。叔母は隣県から何度も来てくれました。


私は母の病院に通いながら、

実家のケーブルテレビの解約などなど

いずれ空き家になってしまうであろう実家のあれこれの手配を

続けていました。


ご近所にはごくごく限られた、母が信頼している方にだけ

母の入院先と病名を知らせていましたが

お隣の奥さんをはじめ町内会の方に親切にしていただいて

ありがたかったです。


また父がいる老人ホームのケアマネさんは

「お父様のことはこちらに任せて、今はお母様の方に専念してください。

そうでないと娘さん(=私)が倒れてしまいますよ」

と言ってくれました。


孤軍奮闘していたようで、実際はそうではなかったのかな

と今になって思います。

でもその当時はとっても孤独な戦いのように感じていました。

私の兄弟たちにメールやLINEで状況を逐一報告していたけど、

それに対する反応の薄さ(というか反応無しだったり)が

すごく辛かった。


もしかしたら、彼らは母の最期に近いことを

受け止めたくなかったのかもしれないけど。

2026/04/22

母が転院先の病院に入院してからの日々-回想-

母がD総合病院から実家近くのE医院に転院したのは11月の初め頃。

入院手続きからはじまり、諸々のシステムが大きな総合病院とは異なり

戸惑うことも多かったけど、看護師さん達が適切に対応してくれました。

私が滞在している実家から近くなったし、

面会の予約が不要(総合病院は前日までに要予約)なのも助かりました。


病院からいろいろ持ってきてほしいものを毎日のように連絡してきて、

また母もLINEであれこれ言ってきていたので、

私はほぼ毎日、病院に通いました。


また老人ホームにいる父に会いに行き、母の病状を伝えました。

E医院の先生から「葬儀屋は決めてあるの?」と聞かれたので、

それも父に聞きました。

父は認知症もなく頭だけはしっかりしていたので、

まず父の意見を聞いておいた方がよかろう、との判断で。


父には母の入院のことを「検査入院」と伝えていたので、

「癌でした」と聞きショックではあったと思います。

でもその時は突然すぎて、いまいちのみ込めていない感じでした。


一方の母は「自分はこのまま家に帰らず施設に行く」と思って

それなりの覚悟を決め、生協の配達とか新聞の配達などを

解約してほしいと言いました。


私ももう母が家に帰ることはないと決まったも同然なので、

今まで母の抵抗が強くてできなかった、実家片付けに着手。

まず台所にあふれる鍋、フライパン、ざるやボウルを処分しました。


そして、老人会を通じて付き合いのあった葬儀屋を

父から教えてもらったので、そこにも話を聞きにいきました。

ちょうど合同セミナーのような催しがあるというので、

とりあえず参加の予約をしました。

身近な人の葬儀というものの経験がなく(参列したことはあっても)

何もわからない状況だったので、藁にもすがる気持ちで

セミナーに出てみることにしたのです。


そんなあれこれの手配をして、いったん自宅に戻りました。

2026/04/21

マイナ保険証の認証方法

ちょっと脱線しますが。

転院先での母の入院手続きの際に気がついたことが1つ。


今は健康保険証が廃止されて、マイナ保険証になりましたね。

母もマイナンバーカードを持っていました。

受付のカード読み取り機にマイナンバーカードを入れた時、

認証方法について「暗証番号か、顔認証か」との表示が出ます。


母に「番号は?」と聞いたら、

「いつも顔認証だから暗証番号は覚えていない」と言いました。

じゃ、顔認証で、と思ったけど、

母は車椅子に座っていて、受付カウンターに置いてある読み取り機に届かない。


車椅子から立ち上がるのも難しく、

また受付のスタッフさんもそこまで要求をせず

カード読み取り機を母の顔の位置まで持ってこようとしてくれました。

読み取り機の電源コードをギリギリまで引っ張り、

なんとか顔認証できたのだけど、なんか一騒動になってしまいました。


これがストレッチャーに寝たままだったりしたら、顔認証は無理でしょうね。

顔認証は番号を覚えてなくてもいいから便利なようで、これは盲点でした。


以来、私は自分が病院にかかる時、

マイナンバーカードの認証は顔ではなく暗証番号でするようにしています。

常日頃から番号を入力するようにしておけば、とっさの時に「忘れた!」

ということにならないだろう、と思って。


本人が意識すら失ってしまっていたら、暗証番号も何もわからないわけだけど。

(まあその時はどうにかして顔で認証してもらう、笑)


年をとると何でもかんでも忘れてしまいます。

病院の受付で毎度、暗証番号を押す。せめてもの「物忘れ防止対策」です。

2026/04/20

母の転院先決まる&余命宣告-回想-

そうこうするうちに、やっと母の転院先が決まりました。

実家から歩いていける近さの病院だったので助かりました。


母がD総合病院に入院した直後に弟夫婦が見舞いに行った時は

母はスタスタと自分で歩いて面会室まで来たそうです。

でもその10日後くらいに私が行った時は車椅子を使っていました。


D総合病院から転院先の病院(E医院とします)までは

当初タクシーで移動するつもりでいましたが、

転院の前日から酸素投与が始まったので、

専用の機材がある、病院の公用車で送ってもらえることになりました。

要するに救急車仕様の車でした。


転院先でさっそく医師から私に話があり、余命宣告を受けました。

D総合病院の先生に余命を聞いた時は「年単位ではない」と言われ、

それをE医院の先生に話したところ、

「月単位でもないです」とはっきり言われました。


さらに「お母さんはもう退院はできないでしょう。

うちで最期までしっかりみますから、施設は探さなくていいです」

とも言われました。

辛い宣告だったけど、率直に話してくれた先生に今も感謝しています。

これで私の覚悟も決まったので。

2026/04/19

母の入院から先は怒涛の日々-回想-

今にして思えば、母の入院から一気に坂を転がるように

事態は悪化していったのだけど、その当時は先が見えない中で

病院の先生や看護師さんに言われたこと、

父がいる老人ホームから言われたことを

ただひたすらこなしていくので精一杯な日々でした。


弟夫婦が実家から自宅に戻った後を引き継いで私が実家に戻りました。

母が入院しているD総合病院と父がいる老人ホームは

全然違う方向に離れていて、

「今日はあっち、明日はこっち」と動き回っていました。


母の治療方針は積極的な延命治療は行わず緩和処置のみとする、

と決まったので、総合病院にいつまでもいるわけにはいかず

転院先を探してもらっていました。

いつになったら転院先がみつかるのかも全くわからない中、

私は実家で待機する毎日でした。


地域包括センターの母を担当してくれていたケアマネさんに

義妹(弟嫁)が事情を話してくれていました。

ふと思いついて、私も挨拶だけしておこうと包括センターに行ったら、

ちょうどケアマネさんが内勤で、会って直接お話しができました。


D総合病院の先生からは

「転院先で病状が落ち着いたとしても、もう家で一人暮らしは無理だろうから、

 退院後はそのまま施設に入るのがいい」と言われていました。

なので、母が入れそうな施設を探してもらうのと、

母の介護認定の申請は義妹から既にお願いしてありました。

(母はまだ何も認定を受けていませんでした。)


ケアマネさんは、とにかく緊急で介護認定がおりるよう手配をする

と約束してくれて、実際にすぐに動いてくれました。

近くに誰も相談する人もいない状況で、

地域包括センター、ケアマネさんの存在はほんとに心強かったです。

2026/04/18

母、三度目の入院ー回想ー

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 ※実家の近くの両親のかかりつけ医:A内科

 ※母が最初に入院した中規模の病院:B病院

 ※父が心臓の手術を受けた総合病院:C総合病院

 ※母が心筋梗塞で入院した総合病院:D総合病院

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私の「失われた2年半」における「三度目の」入院です。

ここからは昨年(2025年)の10月以降のblogと内容が重なる部分もあります。


夏頃から食欲が落ちてきた母は、デイサービスに行く以外は家で

ゴロゴロしてたり、変な時間に昼寝(夕寝?)をしたりしていました。

「少しでも具合が悪いならすぐ病院に行くように」と何度も言いましたが

母は「A内科で診てもらっているから大丈夫」と言っていました。


10月の診察時に激やせした母を見た先生が驚いて

「詳しく検査してみましょう」となり、その結果

「紹介状を持ってD総合病院に行ってください」と言われました。


それだけを母から聞いて、私は「これは即入院だ」と直感。

母には入院時の持ち物リストをすぐに送って、

「これを自分で用意して必ず持っていくように」と言いました。


案の定、母は入院となりました。

たまたま帰省を予定していた弟夫婦がD総合病院に行って、

主治医の先生から詳しい病状説明を母と一緒に聞いてきました。


母は癌で、複数転移、ステージ4との診断でした。

2026/04/17

徐々に徐々に弱っていく両親-回想-

前のblogで父のクレジットカードの解約が大変だったと書きましたが、

それ以外にも、例えば株式投資とか、いろいろ父がやめたがらない事があり

それをなんとか諦めさせるのに苦労しました。

(株は説得に説得を重ねて、ついに全部売却しました。

 今となっては、あの時に売っておいてよかった。

 父の死後、株を残されても株に何の興味もない私たちは困ったと思うので。)


パソコンもだんだん使えなくなり、「前にできていた事ができなくなった」

「やり方を忘れた」などと言うようになったので、情報管理の面が心配で

Wi-Fiを切りました。(ネットにつながらなくした)


その代わり、父が好きだった数独やクロスワードパズルが載った本を送ったり

オフラインでも使える麻雀などが入ったゲームソフトをパソコンに

インストールしてあげたりしましたが、あんまり使わなかったみたいです。

楽しみはテレビで野球や相撲を観るくらいしかなくなっていました。


一方の母は、足腰が弱った父を見ていて危機感を感じていて、

カーブスに長年通っていましたが、そのカーブスがちょっと遠くて

毎回バスで通うのが身体的にも時間的にもきつくなったそう。

それで自分で地域包括センターに相談して、

介護認定がなくても通えるデイサービスを紹介してもらいました。


そこで軽い運動もできるし、人との交流もあり、

なにより送迎付きで助かる、と喜んで通うようになったので、

私も「よかったなぁ」と思っていたのですが・・・


母も年齢が90才近くなり、だんだんと歩くのが辛くなってきていました。

そして夏頃から食欲が落ちてきて、ほとんど何も食べられなくなりました。

母は「夏バテかな」とか父が施設に入ってホッとして「今頃疲れが出てきた」

とか言っていましたが、それだけではなかったのでした。

2026/04/16

面倒な手続き-回想-

平穏な日々とはいっても、何もなかったわけでもなく。

父の病院通い(定期健診)には家族が付き添わないといけないので、

あいかわらず実家へは帰っていました。

父は大きな手術を何回もしていたので、それぞれの定期健診を

年1回受けるため、そのつど介護タクシーを予約して行きました。


そのついでに、母のスマホの機種変更に付き添って行ったり、

実家の片付け、庭の手入れなどなど。

( その頃に書いたblog )


しかし一番面倒だったのはクレジットカードの解約です。

施設に入った父はもうクレカを使う機会もないだろうから

解約しましょう、となったのだけど、これがもう面倒で面倒で。


とにかく父のクレカの枚数がすごかった。

ショップの会員カードにクレジット機能がついてたりもして、

本人も全容を把握してない。


そして解約方法がめんどい。

電話すると「ご本人ですか?」と聞かれ、本人を電話口に出すけど

耳が遠くて電話の向こうの相手と会話できない。

しかも「本人を電話口に出す」というのは、父のいるホームでしかできないです。

電話をしても「ただいま混みあっています」の音声だけが流れて全然つながらない!

限られた面会時間の中で、むなしく時が過ぎていく・・・


今どきはサイトで解約というのもできたりするのだけど、

それも二段階認証という壁があり、父のスマホに認証番号が送られてくるので

やっぱり父のいるホームでしか手続きができないわけです。


クレカの数も多かったので、ホームに私が行った時、弟が行った時と

手分けしてやったけど、それでも全部終わらず、

かなりの日数かかりました。


クレカに限らず「解約」という手続き、本人確認だの二段階認証だのと

セキュリティに阻まれいっこうに進みませんでした。


これに懲りたので、私自身はやたらと会員登録をするのはやめようと

心に固く誓いました。当然、クレカも厳選して枚数を最小限にしています。

あ、サブスクも極力避けています。

サブスクこそ、本人も忘れているのに利用料だけ引き落とされてたりするので

本当に怖いし厄介です。

2026/04/15

老人ホームに移ってからの父と母-回想-

父が老人ホームに移ってからは、しばらく平穏に過ぎました。

母も特に体調を崩したりもなく、元気にしていたようです。

私は旅行に行けたり、春休み中の孫を預かって一緒に遊びに行ったり。


とはいうものの、何かと父から電話がかかってきたり

(父は携帯電話もパソコンもプリンターも自室に持ち込んでいました。)

老人ホームのケアマネからもちょくちょく連絡が入りました。


父からは「ホームで誕生日を祝ってもらったので、皆に御礼をしたい」とか

「プリンターが壊れたから電気屋を呼んで修理してもらいたい」とか。

ほんとに、あれこれと。

ほとんどが「そりゃ無理です、できません」みたいなことばっかり。


「スタッフさんへの差し入れは私が行く度にお菓子を買っていってるし、

それに入所者がホーム内で他の人にモノを配ったりしてはいけないよ」

「プリンターはほんとに壊れたの?使い方を間違っているだけでは?」

などと、いちいち対応するのが面倒で仕方なかった。


他にも家族との面会の時間が決められているのを、「融通がきかない」と怒ったり。

施設に入れられて、いろいろ不自由もあっただろうけど、

そこは諦めてもらうしかないよ・・・と言いたくなるようなことばかりでした。


ケアマネさんからは

「お父様が自室のテレビでBS放送を観たいとおっしゃっています」とか。

このBS放送の件では、ほんとにすったもんだがありました。

まず、ケアマネがデジタル的なことが苦手な人で、

ホームのテレビ視聴環境について尋ねても要領を得ない。

すったもんだの挙句(詳細省きますが)、そういうのに詳しい男性スタッフさんが

「分波器」というものを貸してくれて、無事にBS放送が観られるようになりました。


すぐに老人ホームに行くこともできず、いつも電話のやりとりだけなので

もどかしい思いをしながらも、1つ1つ解決していくしかなかった。


母もたびたび父から呼びつけられて、老人ホームまで出かけていたようです。

そして、母は母で、一人で家を守らないといけないのに、

なんでもかんでも面倒なことはあいかわらず父に頼る。

役所とか保険会社とかからの公的な郵便物もろくに中も見ないで、

父のところに持って行ってました。

わからないならわからないで、せめて父に届ける前に私に相談してほしかった。

それをいくら母に言っても、ちっともいうことを聞かない母でした。

2026/04/14

介護付き有料老人ホーム-回想-

介護付き有料老人ホーム(以下、老人ホームと略します)に移った父。

そこは複数の看護士さんが常駐しており安心でした。

もちろん介護士さんもいつも数人はいて、24時間サポートしてもらえました。

ベッドにはセンサーが付いていて、夜間などにもし長時間ベッドに寝ている反応がない場合はアラームで宿直のスタッフさんに通知が行くようにもなっていました。


サ高住ではできなかった点滴などの医療処置も可能でした。

引っ越し当日、父の部屋を整えて帰路についた私に老人ホームから電話。

足の浮腫みがひどく尿量を調べるためにも尿管にバルーンカテーテルを装着します

という連絡でした。

その時は一時的なものかと思ったけど、結局、父が亡くなるまでカテーテルと

採尿バッグは付けたままでした。


サ高住(といっても父がいたのは小規模でシェアハウスのようなもの)と比べると、

かなり手厚い介護と見守り体制でようやくホッとできたけど

その分、利用料は跳ね上がりました。今度は金銭的な心配が浮上しました。


それから、改めて調査・審査を経ておりた介護認定はなんと「要介護4」!

要支援2からいきなり要介護4ってどう考えてもおかしい。

やっぱりそれまでの「要支援2」がおかしかったのです。


最初から要介護3以上なら、もっと費用が安い特養も選択肢にできたのに

とチラッと思いもしたけど、それを今、言っても仕方ない。

父がようやく安心できる場所に落ち着けるなら、これでよかったのだと

思うしかありませんでした。

2026/04/13

父、入居1カ月後には退去・移転-回想-

サ高住になんとか入居できた父でしたが、

部屋の中で転倒を繰り返すし、さらに心臓の具合もよろしくない。

運営元の医院の先生(父の主治医となりました)や施設のスタッフさんから

入居したサ高住と同じ系列の老人ホームに移った方がいいと提案されました。


父は要支援2のままだったので、該当の老人ホームの入居資格がないのですが

現状、どう見たって要介護1には必ずなるはずとのことで

(だから前々から私はそう思ってケアマネにも訴えていたのだけど)

要支援から要介護になるのを見越して老人ホームへの引越しを検討し始めました。


ちょうど老人ホームの方に空き室が出たというタイミングでもあり

だからこその医師やスタッフさんからの提案であったのですが、

他に空きを待っている方もいるので、移るかどうするかすぐに返事を下さい

と言われました。


なので私も即答。父にはケアマネさんから、母には私から説明をしました。

他の兄弟には相談する暇もなくて、事後報告となりました。


結局、サ高住入居一カ月後に次の介護付き有料老人ホームへの引っ越し。

同系列とはいえ別の施設なので、契約も最初からやり直し、

ケアマネもその施設所属の方に変わりました。

その間、目が回るような忙しさだったけど、

もうとにかく必死で「忙しい」と感じる余裕すらなかった。

ケアマネさんや施設のスタッフさんらに助けられてどうにか乗り越えたという感じでした。

遺産相続のこと