2026/03/16

なぜ両親はずっと二人暮らしだったのか

ところで、夫婦二人では生活が立ち行かなくなりつつある両親を

なぜいつまでもそのままにしておいたのか?という話。


弟は定年までまだ数年あり、今ここで仕事を辞めるという選択は

彼の中にはありませんでした。

また仕事の内容からいっても地元に帰っての転職は難しかった。


妹は受験期の子どもを抱えていました。

妹の夫もまた定年前で簡単に転職して九州へ、とは考えられませんでした。


私は・・・

実はもう何年も前に、母に「将来のことなど考えているのか?」

「(弟と)何か話をしているのか?」と聞いたことがあります。

その時点でなら、私と夫(夫も九州出身)が九州に帰る選択肢が

全くないわけでもなかったので。


でも母はなぜか怒り出し「自分たちのことは自分たちでどうにかする!」と。

「余計なお世話」と言わんばかりで、とりつく島もなし。

なんで私が怒られないといけないのか?でもまあ母はそんな人でした。

なので、私が若い頃は帰省のたびに母とケンカしていました。


正直、その時から私は両親のことは「もう知らん」と思っていました。

ここ数年、いつもいきなり呼びつけられ、理不尽な思いをしながら

でもすぐに帰れるのが私しかいないから、仕方なく帰っていたのです。


そもそも「地元」と言っているけど、父が転勤族だったので、

両親が最後に住んでいた土地に私たち兄弟は何のなじみもありません。

友達もいません。自分たちの「地元」ではないんです。

だからこそ、弟は定年後ですら両親の元に帰る気持ちはなかったかも。


子ども3人とも、遠い関東に進学や就職をさせて、

そこで3人の子どもはそれぞれ伴侶を得て、長く暮らしてきた。

父は弟に定年後に帰ってきて欲しかったようだけど、

はっきりとそういう話をするでもなく、

そもそも弟の定年までまだ何年かあったにも関わらず、

それを待つ前に自分たちはどんどん衰えていった。

なのに自分たちの行く末を考えず、何の準備もしてこなかった両親に

呆れるばかりで、ため息しか出ない私でした。

2026/03/15

施設入居の話はいったん立ち消え

一時は父の施設入居を兄弟たちで真剣に検討しましたが、

当の本人が「施設に行くのはまだ先でいい」という気持ちに落ち着き、

母も一カ月の入院で、退院後はだいぶ体力が回復したので、

父の施設行きの緊急性が若干薄れました。

(決して緊急性がなくなったわけではない。)


時々、兄弟で日程をずらしながら帰省して、とりあえず様子見という感じ。

ただいずれは施設に行くことになるだろうから、

できるだけ早く身辺整理をするよう両親には言っていたけど、

本人たちは全く危機感がなくて、正直嫌気がさすほどでした。


また、父はますます足腰が弱り、家の中でも転倒を繰り返していました。

転倒だけでなく、座っていた椅子からずり落ちたりとか。

尻もちをついたり、倒れてしまったりすると、

父は自力では起き上がれず、また母が助け起こすこともできず

ケアマネさんに来てもらったり、一度は警察に電話して

お巡りさんに来てもらったこともあったそう。


父は寝たきりでもないし、食事や着替えなどは自分でできていたから、

「介護」というほどではなかったものの、

トイレの失敗は頻繁だったようだし、

(ゆっくりしか歩けないのでトイレが間に合わなかった)

とにかく、転倒が怖くて目が離せなかったそうで、

やはり母ひとりで父の面倒を見るのは無理がありました。


そして母がまた入院します。

2026/03/03

父の施設探しが難航した理由その2

第二の理由はずばり介護認定です。

前にも書いたように、父は要支援2でした。

心臓のペースメーカーを入れる手術をした後で、再度審査を受けたけど

やっぱり要支援2のままでした。

誰かの介助がなければ一人では生活ができないにも関わらずです。


聞くところによると、認知症が全く無い状態だと要介護にはなりにくいのだとか。

あと地域によっても、審査が厳しいところ甘いところがあるようです。

(施設の数が足りないとか、財政が厳しい自治体だったりすると

 審査が厳しくなるのか?)


で、要支援2だと、そもそも入れる施設が限られます。

要支援1や2、あるいは介護認定のない人も受け入れ可能という施設でも

順番待ちの優先度がやはり介護度の高い人からになるので、

要支援2だと後回しにされるようです。


そんなこんなで、現状で入居可能な施設がみつからないまま月日がたち、

母が退院してきて、またもとの二人暮らしに落ち着きました。

一時弱気になっていた父も「もうしばらくこのままで」と言うし

私たち子どももそれ以上、無理に父の施設行きを勧めることもできず

施設探しはいったん立ち消えとなってしまいました。

2026/03/02

父の施設探しが難航した理由その1

まず第一に、父には「今すぐ施設に行く」という気持ちがなかった。

というのも、足が弱り外出もままならなくなった父にとって、

趣味というか日々の楽しみが株とパソコンだけとなっていました。


株の取引きにはパソコンが絶対必要だし、パソコンで「数独」などの

ゲームも楽しんでいました。

ちなみに銀行口座の管理や振込などもネットバンキングでやっていました。

だから「パソコンが持ち込める」というのが施設探しの絶対条件でした。


ところが、その時点でパソコンが持ち込めて、且つWi-Fiが使える施設

というのがまだあまりなかったのです。

施設によっては貴重品の持込が禁止で、パソコンも貴重品扱いだったりもしたし。

そもそも父の年齢でパソコンを扱えるという老人が、あんまりいなくて

施設側にもそういう想定がまだなかったようでした。


というわけで、父にとっての施設入居の条件が「パソコン」だったのだけど

その条件がかなう施設が、私の実家周辺ではほとんどありませんでした。

2026/02/26

ちょっとだけ現在の話ーお雛様を寄付ー

すっかりブログを放置しておりました。

両親の死後の諸々の手続きや四十九日の法要で、

あいかわらず遠い実家と自宅を行き来しておりました。


現在は自宅にいます。

ここで突然ですが、断捨離ネタを。


以前、雛人形の処分に困っている話を書きました。

おひな様どうする?

その後、たまたまだけど区の公設?リサイクルショップで、

雛人形の寄付を受け付けていることを知りました。

季節ものなので、持ち込めるのは1月2月のみ。


去年のうちから「年が明けたらお雛様を寄付しにいこう」と構えていたけど

年末年始は両親の葬儀でそれどころではなくなっていました。

ようやく自宅に戻れて落ち着いたので、リサイクルショップに連絡して

ギリギリだったけど、雛人形を持っていくことができました。


ショップでは既に他の方から寄付されたお雛様が店頭に並んでいました。

どれも、親王飾り(男雛と女雛の二人だけ)で、

狭い店内に置けるものしか受け付けていないようでした。


うちの雛人形も親王飾りで、傷みも汚れもない良い状態だったので

無事に寄付を受け付けてもらえました。


実は娘が生まれてから数回しか、飾ってあげられなかった

我が家のお雛様。申し訳なかった。

次は大事にしてもらえるお宅に受け継がれていきますように。

2026/02/02

両親ふたりだけの生活は限界と思えた

その前に今現在の話。

両親とも、自分のPCとスマホを持っていました。

90歳前後という年齢を考えると「すごいですね!」と周囲の人からは言われます。


電話での通話以外に連絡手段があるということで、大変助かったのは事実です。

特に入院中や施設に入ってから。

本人たちはスマホを常にベッドの枕元に置いていたから、

メールでやりとりすることができました(母とはLINEも)


しかし!両親が亡くなった今、それらの「デジタル遺産」の処理で

私はかなりの手間と時間をとられています。

それについては、また別の機会に。2年前の話のつづきに戻ります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

両親はそれぞれ別々の病院に入院することになりました。

コロナ禍のなごりで面会の制限がまだあったとはいうものの

医師やソーシャルワーカーとの面談、栄養指導などなど

毎日のように病院に通って大変でした。

それでもなんとか二人とも退院にこぎつけたのですが・・・。


当時、父の介護認定は「要支援2」

※今、これを書きながら「要支援1だっけ?2だっけ?」と。

 早くも記憶がおぼろげになってる!

ですが、「要介護じゃないなんて何かの間違い?」というくらい

あちこち不自由になっていて、日常生活に支障が出ていました。


また父が気にしすぎなところもあったのか、やたらと病院に行きたがる。

眼科、耳鼻科、皮膚科。

歩行も困難な父を連れての外出はそれだけで付き添う方は疲労困憊なのに。


私も母の入院中、父の世話をしていて「こりゃ大変だ!」と思いました。

このまま夫婦二人の生活に戻ったら、母がまた過労で倒れてしまう。


ケアマネさんの勧めもあって、父の施設探しが始まりました。

でもこれが、難航するばかりで、話はちっとも進みませんでした。

2026/02/01

両親それぞれが入院という事態

母は腎盂炎でB病院に入院。一応、腎盂炎という病名はついたけど、

そもそもの原因は過労とストレスであったろうと思います。

なので弱った体力を取り戻すために退院までには時間がかかりました。


父はそれまで、家の中でも外でも転倒を繰り返していて、

しかも筋肉も弱っていて、一度転ぶと自力では起き上がれない。

また転んで顔面を打って流血騒ぎとなり、救急車で病院に運ばれたことも。


そんな父と暮らす母は四六時中、気を抜けず、

また父の通院の付き添いも大変で心労が重なっていたのでした。

またそんな状態なのに不摂生を改めようとしない父へのストレスも

溜まりに溜まっていました。


母は入院することで、そんな気苦労からは解放されたのだけど、

問題は母の入院中、父をどうするか?

転倒を繰り返しているので、家に一人で置いておくのは危険。


というわけで私と妹が交代しながら、実家と自宅を行ったり来たりしました。

(飛行機か新幹線でないと行けない距離です)

私も妹もどうしても行けない時は、ショートステイを利用しました。

ケアマネさんがいろいろ手配して下さって、ありがたかったです。


そうこうしているうちに、父の心臓の具合がよくならないので

とうとうペースメーカーを入れることになり、

父はC総合病院で手術・入院となりました。


そしてその頃から、父の施設入居の話が上がり始めました。