2026/05/03

両親が遺したもの

両親亡き後に残った実家は異常にモノが多いです。

みんな「そう、そう」「よくある話だよね」と言うけど、

うちの場合はほんとに、ほんとに異常なんです!


いわゆる「ゴミ屋敷」なら、まだいい。

ゴミは何も考えずに捨てればいいから。


うちの場合はゴミも多いけど、そうじゃないものもあふれている。

父が残したいろんな資料や名簿は個人情報も含まれているから、

うかつに捨てられない。

母が残した、あらゆるハンドメイドの材料・道具は

同じくハンドメイドが好きな私や妹にとっては

その価値がわかるだけに捨てるのがしのびない。


実家に住んでいるのだったら、

少しずつ処分するとか、ネットフリマで売るとかするのだけど

実家は遠いし、それらを自分の家に引き取るには量が膨大すぎる。


結局は捨てるしかない、業者に処分を依頼するしかない。

私と弟はもう割り切ったけど、妹はまだ思いきれないみたいです。


2026/05/01

お墓の問題-墓じまい?

実家のある市に、亡き父が購入したお墓があります。

そこの管理をしている霊園の事務所から

お墓の継承(名義変更)をするようにと連絡がありました。


お墓の担当は弟なんだけど、

「いっそ墓じまいをしようか?」と相談がありました。

(両親のお墓は同じ霊園にある永大供養塔へ)


というのも両親亡きあと、実家も売ってしまったら

もうその市に行くことはなくなるだろうから。

親は転勤族で、私たち兄弟はそれぞれ別の土地で育ったので

今の実家があるところになじみはないのです。


母も生前「墓じまい」をしたいと話していました。

それにしても、なんで父は後のことも考えずにお墓を買ったのだろう?


父のもともとの生地にある先祖代々のお墓は、

めっちゃ田舎の辺鄙なところにあり、

墓参りに行くのが不便なので別に新しくお墓を買い

そこに私の祖父母のお骨が納めてあります。

しかし、それこそ私たちにとっては、

そのめっちゃ辺鄙な場所も、今の実家のあるところも

同じくらい、もう縁のない場所です。

お墓の掃除や草取りのためだけに、飛行機で出かけていくのは

ちょっと考えられないんですよね。


うちの両親の計画性の無さとか、将来を見通す力の無さには

ほんとに毎度毎度、呆れさせられる。


2026/04/29

さて、これから

前回のblogで、私の「失われた2年半」の記録は終わりです。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。


父の死からもうすぐ4カ月がたとうとしていますが、

いまだにいろんなことが片付いていません。


空き家となった実家は、もう誰も住むこともないので

いずれ売却するつもりです。

そのため、まずは家・土地の名義変更(相続)を

しなければならない。


遺産、というほどのものではないけど、

わずかながら銀行に預金もあるので、

いずれそれも兄弟で分けることになります。


諸々の手続きも結局、ほぼ私がやっています。

他の兄弟は働いていて、昼間に役所に行ったりできないから。

それだけでなく、たぶん面倒な手続きなどが苦手なのでしょう。

できない人たちに無理にやらせようとしても仕方ない。


とっとと全部終わらせて、すっきりしたいので

私が一人でやっています。

もちろん兄弟たちも私に任せると言ってるし、

頼めば協力もしてくれます。


面倒な手続きやお金の管理を私がやる代わりに

初盆やお墓の手配は弟と妹に丸投げしました。

そういう分担にしたので、お互い文句はないのです。


聞けば「相続」が決着するのに10年かかったとか、よくある話らしい。

うちは、みんなあんまり欲張らない人ばかりで

たぶん円満に解決しそうでよかった(今のところは)。

たいした遺産もなく、欲張ったところでタカが知れてるしね。


まだ気掛かりなことは続いているし、あいかわらず実家のことで

あれこれ時間を取られてはいるものの

これからは自分の生活を最優先にして、

残りの人生を悔いのないよう、楽しみながら生きていこうと思います。

2026/04/28

その後の話-回想-

たった1カ月前に母の葬儀があったばかりなのに、

またまた、今度は父の葬儀。


父の死を知らせた人たちは皆、「ええっ?」と驚く人はおらず

「あー」と言外に「予想はしていたが・・・」といわんばかりの反応でした。

やっぱり妻を亡くした夫は、わりとすぐに後を追うものらしい。

皆、そういう認識だったのでしょう。


そういえば、老人ホームから父の遺体を送り出す時、

ホームのスタッフさんが父にとっての記念の品(何とは書きませんが)を

一緒に持たせてくれて、ほんとにほんとにありがたかった。

緊急の事態であったのに、よくぞそこに気がついてくれたと。

父の生涯を象徴するようなもので、その品は棺に入れてあげました。


葬儀のあと私はいったん自宅に戻ったけれど、

すぐにまた実家に行き、父がいた老人ホームから荷物を引き上げたり

役所に行っていろいろ手続きをしたりしました。

電話ですむ手続きはなるべく電話で済ませたいのだけど、

これがまた、なかなかオペレーターにつながらず苦労しました。


そこから3カ月あまりたつ現在も、まだ全てが終わったわけではなく

中には面倒くさい手続きだの申請だのもあり、

頭を悩ませながら、1つ1つ片付けている毎日です。

2026/04/27

父の死-回想-

父はまた介護タクシーを使って、母の葬儀に参列しました。

葬儀後、老人ホームに帰ってからも、泣いてばかりいたそうです。


風邪の症状もあり、咳や痰が出てむせることがあるので誤嚥の心配があり

食事を制限して点滴で水分や栄養を補給してもらいました。

母の死から1カ月後、父も老衰で亡くなりました。


老人ホームに入ってからちょうど1年後のことでした。

その間にどんどん食が細くなり、眼も見えにくくなり

もちろん身体の自由もきかなくなっていきました。


心身ともに弱って、できないことばかり増えて苛立っていて、

仕方がないとはいえ、かわいそうでした。

いっそ認知症になって何もわからなくなった方が楽なのでは、

と思ったくらい。


母が亡くなってからは気落ちが激しく、間をあけずに母のところに行けて

よかったのでは、というのが正直な気持ちです。


叔母が「あの世で姉さんが義兄さんに『もう来たの?』と言ってるかもね」

と言ったのが、なんかおかしかったな。

でも、たぶんそうだろうと私も思いました。

2026/04/26

母の死-回想-

ここからは、あっさりと淡々と書いていきます。

(この回想記事ももうすぐ終わります。)


総合病院に緊急入院してから約2ヵ月半後、

転院先に移ってから1カ月後に母は亡くなりました。

転院先のE医院に1カ月もいたのか。

なんだかあっという間だったような気がしますが。


葬儀屋さん(というか、冠婚葬祭全てのセレモニーや

返礼品、挨拶状の手配などあらゆるサービスを用意してある)

の互助会に入ったばかりで、一度も会費を払う間もなく

さっそく割引価格で通夜・告別式をやってもらいました。


父は名ばかりの喪主で、弟も葬儀に間に合わず

私が喪主代行を務めました。


母が亡くなるまで、私はほんとにほんとに頑張った(と思う)。

悲しいとか寂しいとかいう感情よりもやりきった感が強かったです。


叔母たちと通夜や火葬場で穏やかに思い出話ができて、

むしろ楽しかった。

「ああ、いい話が聞けたなぁ。ママにも教えてあげなくちゃ。」

と思って、そこで「あ、ママはもういないんだった」と気がつく。

その繰り返しではありました。

2026/04/23

去年の11月、私はほとんど自宅にはいませんでした-回想-

10日間実家にいて、母の転院などを済ませて自宅へ。

その一週間後にはまた実家へ。


葬儀屋さんのセミナーに参加して、互助会に入会しました。

老人ホームにいる父を介護タクシーで母のいる病院へ連れていきました。

二人が会うのは、これが最後となりました。


母の妹たちや近所の仲のよい人たちが、

それぞれ病院まで母に会いに来てくれました。


母と一番仲のよかった叔母には、

看護師さんが「面会の時間制限は特別に無しにします」と

言ってくれたらしい。叔母は隣県から何度も来てくれました。


私は母の病院に通いながら、

実家のケーブルテレビの解約などなど

いずれ空き家になってしまうであろう実家のあれこれの手配を

続けていました。


ご近所にはごくごく限られた、母が信頼している方にだけ

母の入院先と病名を知らせていましたが

お隣の奥さんをはじめ町内会の方に親切にしていただいて

ありがたかったです。


また父がいる老人ホームのケアマネさんは

「お父様のことはこちらに任せて、今はお母様の方に専念してください。

そうでないと娘さん(=私)が倒れてしまいますよ」

と言ってくれました。


孤軍奮闘していたようで、実際はそうではなかったのかな

と今になって思います。

でもその当時はとっても孤独な戦いのように感じていました。

私の兄弟たちにメールやLINEで状況を逐一報告していたけど、

それに対する反応の薄さ(というか反応無しだったり)が

すごく辛かった。


もしかしたら、彼らは母の最期に近いことを

受け止めたくなかったのかもしれないけど。

両親が遺したもの