2026/04/28

その後の話-回想-

たった1カ月前に母の葬儀があったばかりなのに、

またまた、今度は父の葬儀。


父の死を知らせた人たちは皆、「ええっ?」と驚く人はおらず

「あー」と言外に「予想はしていたが・・・」といわんばかりの反応でした。

やっぱり妻を亡くした夫は、わりとすぐに後を追うものらしい。

皆、そういう認識だったのでしょう。


そういえば、老人ホームから父の遺体を送り出す時、

ホームのスタッフさんが父にとっての記念の品(何とは書きませんが)を

一緒に持たせてくれて、ほんとにほんとにありがたかった。

緊急の事態であったのに、よくぞそこに気がついてくれたと。

父の生涯を象徴するようなもので、その品は棺に入れてあげました。


葬儀のあと私はいったん自宅に戻ったけれど、

すぐにまた実家に行き、父がいた老人ホームから荷物を引き上げたり

役所に行っていろいろ手続きをしたりしました。

電話ですむ手続きはなるべく電話で済ませたいのだけど、

これがまた、なかなかオペレーターにつながらず苦労しました。


そこから3カ月あまりたつ現在も、まだ全てが終わったわけではなく

中には面倒くさい手続きだの申請だのもあり、

頭を悩ませながら、1つ1つ片付けている毎日です。

2026/04/27

父の死-回想-

父はまた介護タクシーを使って、母の葬儀に参列しました。

葬儀後、老人ホームに帰ってからも、泣いてばかりいたそうです。


風邪の症状もあり、咳や痰が出てむせることがあるので誤嚥の心配があり

食事を制限して点滴で水分や栄養を補給してもらいました。

母の死から1カ月後、父も老衰で亡くなりました。


老人ホームに入ってからちょうど1年後のことでした。

その間にどんどん食が細くなり、眼も見えにくくなり

もちろん身体の自由もきかなくなっていきました。


心身ともに弱って、できないことばかり増えて苛立っていて、

仕方がないとはいえ、かわいそうでした。

いっそ認知症になって何もわからなくなった方が楽なのでは、

と思ったくらい。


母が亡くなってからは気落ちが激しく、間をあけずに母のところに行けて

よかったのでは、というのが正直な気持ちです。


叔母が「あの世で姉さんが義兄さんに『もう来たの?』と言ってるかもね」

と言ったのが、なんかおかしかったな。

でも、たぶんそうだろうと私も思いました。

2026/04/26

母の死-回想-

ここからは、あっさりと淡々と書いていきます。

(この回想記事ももうすぐ終わります。)


総合病院に緊急入院してから約2ヵ月半後、

転院先に移ってから1カ月後に母は亡くなりました。

転院先のE医院に1カ月もいたのか。

なんだかあっという間だったような気がしますが。


葬儀屋さん(というか、冠婚葬祭全てのセレモニーや

返礼品、挨拶状の手配などあらゆるサービスを用意してある)

の互助会に入ったばかりで、一度も会費を払う間もなく

さっそく割引価格で通夜・告別式をやってもらいました。


父は名ばかりの喪主で、弟も葬儀に間に合わず

私が喪主代行を務めました。


母が亡くなるまで、私はほんとにほんとに頑張った(と思う)。

悲しいとか寂しいとかいう感情よりもやりきった感が強かったです。


叔母たちと通夜や火葬場で穏やかに思い出話ができて、

むしろ楽しかった。

「ああ、いい話が聞けたなぁ。ママにも教えてあげなくちゃ。」

と思って、そこで「あ、ママはもういないんだった」と気がつく。

その繰り返しではありました。

2026/04/23

去年の11月、私はほとんど自宅にはいませんでした-回想-

10日間実家にいて、母の転院などを済ませて自宅へ。

その一週間後にはまた実家へ。


葬儀屋さんのセミナーに参加して、互助会に入会しました。

老人ホームにいる父を介護タクシーで母のいる病院へ連れていきました。

二人が会うのは、これが最後となりました。


母の妹たちや近所の仲のよい人たちが、

それぞれ病院まで母に会いに来てくれました。


母と一番仲のよかった叔母には、

看護師さんが「面会の時間制限は特別に無しにします」と

言ってくれたらしい。叔母は隣県から何度も来てくれました。


私は母の病院に通いながら、

実家のケーブルテレビの解約などなど

いずれ空き家になってしまうであろう実家のあれこれの手配を

続けていました。


ご近所にはごくごく限られた、母が信頼している方にだけ

母の入院先と病名を知らせていましたが

お隣の奥さんをはじめ町内会の方に親切にしていただいて

ありがたかったです。


また父がいる老人ホームのケアマネさんは

「お父様のことはこちらに任せて、今はお母様の方に専念してください。

そうでないと娘さん(=私)が倒れてしまいますよ」

と言ってくれました。


孤軍奮闘していたようで、実際はそうではなかったのかな

と今になって思います。

でもその当時はとっても孤独な戦いのように感じていました。

私の兄弟たちにメールやLINEで状況を逐一報告していたけど、

それに対する反応の薄さ(というか反応無しだったり)が

すごく辛かった。


もしかしたら、彼らは母の最期に近いことを

受け止めたくなかったのかもしれないけど。

2026/04/22

母が転院先の病院に入院してからの日々-回想-

母がD総合病院から実家近くのE医院に転院したのは11月の初め頃。

入院手続きからはじまり、諸々のシステムが大きな総合病院とは異なり

戸惑うことも多かったけど、看護師さん達が適切に対応してくれました。

私が滞在している実家から近くなったし、

面会の予約が不要(総合病院は前日までに要予約)なのも助かりました。


病院からいろいろ持ってきてほしいものを毎日のように連絡してきて、

また母もLINEであれこれ言ってきていたので、

私はほぼ毎日、病院に通いました。


また老人ホームにいる父に会いに行き、母の病状を伝えました。

E医院の先生から「葬儀屋は決めてあるの?」と聞かれたので、

それも父に聞きました。

父は認知症もなく頭だけはしっかりしていたので、

まず父の意見を聞いておいた方がよかろう、との判断で。


父には母の入院のことを「検査入院」と伝えていたので、

「癌でした」と聞きショックではあったと思います。

でもその時は突然すぎて、いまいちのみ込めていない感じでした。


一方の母は「自分はこのまま家に帰らず施設に行く」と思って

それなりの覚悟を決め、生協の配達とか新聞の配達などを

解約してほしいと言いました。


私ももう母が家に帰ることはないと決まったも同然なので、

今まで母の抵抗が強くてできなかった、実家片付けに着手。

まず台所にあふれる鍋、フライパン、ざるやボウルを処分しました。


そして、老人会を通じて付き合いのあった葬儀屋を

父から教えてもらったので、そこにも話を聞きにいきました。

ちょうど合同セミナーのような催しがあるというので、

とりあえず参加の予約をしました。

身近な人の葬儀というものの経験がなく(参列したことはあっても)

何もわからない状況だったので、藁にもすがる気持ちで

セミナーに出てみることにしたのです。


そんなあれこれの手配をして、いったん自宅に戻りました。

2026/04/21

マイナ保険証の認証方法

ちょっと脱線しますが。

転院先での母の入院手続きの際に気がついたことが1つ。


今は健康保険証が廃止されて、マイナ保険証になりましたね。

母もマイナンバーカードを持っていました。

受付のカード読み取り機にマイナンバーカードを入れた時、

認証方法について「暗証番号か、顔認証か」との表示が出ます。


母に「番号は?」と聞いたら、

「いつも顔認証だから暗証番号は覚えていない」と言いました。

じゃ、顔認証で、と思ったけど、

母は車椅子に座っていて、受付カウンターに置いてある読み取り機に届かない。


車椅子から立ち上がるのも難しく、

また受付のスタッフさんもそこまで要求をせず

カード読み取り機を母の顔の位置まで持ってこようとしてくれました。

読み取り機の電源コードをギリギリまで引っ張り、

なんとか顔認証できたのだけど、なんか一騒動になってしまいました。


これがストレッチャーに寝たままだったりしたら、顔認証は無理でしょうね。

顔認証は番号を覚えてなくてもいいから便利なようで、これは盲点でした。


以来、私は自分が病院にかかる時、

マイナンバーカードの認証は顔ではなく暗証番号でするようにしています。

常日頃から番号を入力するようにしておけば、とっさの時に「忘れた!」

ということにならないだろう、と思って。


本人が意識すら失ってしまっていたら、暗証番号も何もわからないわけだけど。

(まあその時はどうにかして顔で認証してもらう、笑)


年をとると何でもかんでも忘れてしまいます。

病院の受付で毎度、暗証番号を押す。せめてもの「物忘れ防止対策」です。

2026/04/20

母の転院先決まる&余命宣告-回想-

そうこうするうちに、やっと母の転院先が決まりました。

実家から歩いていける近さの病院だったので助かりました。


母がD総合病院に入院した直後に弟夫婦が見舞いに行った時は

母はスタスタと自分で歩いて面会室まで来たそうです。

でもその10日後くらいに私が行った時は車椅子を使っていました。


D総合病院から転院先の病院(E医院とします)までは

当初タクシーで移動するつもりでいましたが、

転院の前日から酸素投与が始まったので、

専用の機材がある、病院の公用車で送ってもらえることになりました。

要するに救急車仕様の車でした。


転院先でさっそく医師から私に話があり、余命宣告を受けました。

D総合病院の先生に余命を聞いた時は「年単位ではない」と言われ、

それをE医院の先生に話したところ、

「月単位でもないです」とはっきり言われました。


さらに「お母さんはもう退院はできないでしょう。

うちで最期までしっかりみますから、施設は探さなくていいです」

とも言われました。

辛い宣告だったけど、率直に話してくれた先生に今も感謝しています。

これで私の覚悟も決まったので。

その後の話-回想-