2026/01/31

両親が一度に具合が悪くなり

ここのBlogは、私の「ズボラながらも老活、終活を進めていこう」

という決意のもと、あれやこれやを書いていくものであったはず。

が、自分の終活の前にまず親の看取りという問題と向き合わざるをえなくなりました。


楽しい話ではなけれど、記憶が薄れる前に書き残すことにします。

愚痴やうっぷんもここに書いて晴らしたい。そして前を向きたい。

そんな気持ちで書いていきます。しばしお付き合いください。

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さて、今後、いろいろな医院、病院が出てきます。

なので略称を決めておきます。


実家の近くの両親のかかりつけ医:A内科

母が最初に入院した中規模の病院:B病院

父が過去に心臓の手術を受けていた総合病院:C総合病院


母はひどい炎症反応と脱水症状でB病院に入院⇒腎盂炎という診断。

一方、A内科で「不整脈がある」と言われた父を

心電図モニターを24時間装着した結果と紹介状を持って

C総合病院に連れていきました。


そこで言われたのは「ペースメーカーを入れた方がよいのではないか」。

でも父の決心がつかず(手術が怖い)、

ひとまず薬を変えて様子を見ようということになりました。


最初、父から「ちょっと(母の)様子を見に来てくれ」と言われ、

私自身も母は少し体調を崩しただけだろうくらいに思っていて

数日で自宅に戻るつもりでいました。


なのに母は1カ月入院、父も心臓の具合が悪いとなって

帰るに帰れなくなりました。

A内科で「C総合病院に予約を入れるから、いつがいい?」と聞かれ

「あの、私は一度東京に帰りたいんだけど」と言ったら

医師から「えっ!帰るのっ?」と強い口調で言われたことは忘れられない。


私だって自分の家庭がある(夫と二人だけど)。

私だって持病の薬を取りに帰りたい。

そもそも家をそんなに長く空けるつもりで実家に来てない。

なんてことを医師に言っても仕方ないので、のみ込んだけど。


妹が私と交代で実家に来てくれることになったものの、

妹は妹で都合があり、すぐには来られない。普通はそう。

でも両親は私なら"すぐに" "いつでも"来られると思っている。

その認識に後々苦しめられることになります。

2026/01/30

母、一度目の入院

正確に言うと、母はそれまでも二度ほど入院しています。

ただ、私の「失われた2年半」の間にも母は三度入院していて、

その中の1回目という意味。


父からのSOSで私が実家に駆け付けたのは日曜でした。

翌日の月曜にかかりつけの近所の医院に予約が入っているというので

母と父の二人を連れて行きました。


そこで検査の結果を見た医師から

「お母さまが大変なことになっています!」と言われ、

すぐさま入院設備のある別の病院に移動することに。

そして、なんと父も不整脈があるといわれてしまいました。


母の入院準備や、父の大きな総合病院への紹介状の受け取り、

などなど私は走り回って大変でした。

いや「大変でした」なんて一言ですむような話じゃなかった。

今も思い出したくもない。でもその時は必死でした。


私が実家に着いた日に、食欲がないという母のベッドにお粥や果物を私が運んだことも、

かかりつけ医から入院する病院へタクシーで移動したことも、

そこで母が改めて検査を受けている間に私が家に戻って

入院のための荷物を持ってきたことも、

母はなーんにも覚えていませんでした。後で聞いても何一つ思い出せなかった。

どんだけ弱っていたのか。(ちなみに母に認知症はなかったです。)


母の入院後しばらくたってから(いろいろ検査してから)、

病名は「腎盂炎」と告げられました。

とにかく体力も落ちているので、退院まで長くかかるだろうと

入院当初から言われていて、実際に1カ月も入院することになりました。


父は父で、心臓がおかしなことになっていて、

一気に何が起こったのかわからないくらいの混乱だったけど

私は変に冷静だったなーと、今になって思いますね。

私が一人で奮闘するしかない状況でしたし、おろおろしてる場合じゃなかったので。

2026/01/29

2年半前の父からのSOSの顛末

母も父も亡くなってしまった今、

私はある意味、穏やかな気持ちで過ごしています。

というのも、もう病院や施設からの急な連絡は来ないから。

電話が鳴るたび「今度は何?!」とドキッとすることがないからです。


さて、昨日のblogの続きです。

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「ここ数日何も食べていないし2階から降りてもこない」

と母のことで父から電話があったのが夜の10時頃。

私は翌朝すぐに実家に向かうべく、チケットの手配に取り掛かり、

その間に妹(妹も実家から遠くに住んでいます)が

実家近くの警察に連絡してくれました。


事情を話して、お巡りさんに様子を見に行ってもらいました。

暑い時期だったので熱中症にでもなっているのではないかと心配したけど

お巡りさんからの連絡で、そこまで深刻な状態ではないとわかりました。


後からわかったのだけど、母は自分のスマホを1階に置いたまま

2階で寝ていたので、こちらからの連絡に無反応でした。

また母が言うには父へのある感情から、いわばストライキみたいな

つもりもあったらしい。

だから父の食事の支度もせず、自分は食欲がないしで、

1階に降りることもなく2階で寝ていたと(トイレは2階にもあり)。


そう聞くと、なんとも人騒がせな話ですが、

でもでも事情はちょっと違います。

というのも、この日のことを母は後で何も思い出せなかった。

なんと家にお巡りさんが来たことも何も覚えてなかったのです。


あとからいろいろ言い訳してたけど、

実際には母はかなり具合が悪い状態だったのです。


ともかく、父がこの第一報を私にしたことで、

この後の全てを弟でも妹でもなく私が主導することになってしまったのでした。

2026/01/28

始りは2年半前

2023年の夏、突然、実家の父から電話。

母が具合が悪く2階の寝室で寝ていて、全然降りてこない。

「ちょっと様子を見に来てくれ」という電話でした。


父はその頃、もう2階への階段を上がれないくらい

足が弱っていました。

自分で2階にいる母の様子を見に行けないから、

私に来てくれ、という話でした。


私は東京に住んでいます。

実家は九州です。


「は?」という感じですよね。

この話をすると、誰もがびっくりします。


これが、私の親に振り回される2年半、

私にとっては「失われた2年半」の始りでした。

(つづく)

2026/01/27

父も亡くなりました

母のちょうど1カ月後に、父も亡くなりました。老衰でした。


施設にいた父は、介護タクシーで葬儀場まで来て、母の葬儀に参列しました。

その後、風邪の症状があったらしいのだけど、

食事が摂れなくなり、どんどん弱って、そのまま亡くなりました。


母が亡くなったら、父もそう長くは生きていないだろうとは思っていたけど

まさか1カ月で亡くなるとは予想していませんでした。


いろんなことがまだ片付いていないし

バタバタしていて記憶がどんどん消えていく。恐ろしいくらい。