正確に言うと、母はそれまでも二度ほど入院しています。
ただ、私の「失われた2年半」の間にも母は三度入院していて、
その中の1回目という意味。
父からのSOSで私が実家に駆け付けたのは日曜でした。
翌日の月曜にかかりつけの近所の医院に予約が入っているというので
母と父の二人を連れて行きました。
そこで検査の結果を見た医師から
「お母さまが大変なことになっています!」と言われ、
すぐさま入院設備のある別の病院に移動することに。
そして、なんと父も不整脈があるといわれてしまいました。
母の入院準備や、父の大きな総合病院への紹介状の受け取り、
などなど私は走り回って大変でした。
いや「大変でした」なんて一言ですむような話じゃなかった。
今も思い出したくもない。でもその時は必死でした。
私が実家に着いた日に、食欲がないという母のベッドにお粥や果物を私が運んだことも、
かかりつけ医から入院する病院へタクシーで移動したことも、
そこで母が改めて検査を受けている間に私が家に戻って
入院のための荷物を持ってきたことも、
母はなーんにも覚えていませんでした。後で聞いても何一つ思い出せなかった。
どんだけ弱っていたのか。(ちなみに母に認知症はなかったです。)
母の入院後しばらくたってから(いろいろ検査してから)、
病名は「腎盂炎」と告げられました。
とにかく体力も落ちているので、退院まで長くかかるだろうと
入院当初から言われていて、実際に1カ月も入院することになりました。
父は父で、心臓がおかしなことになっていて、
一気に何が起こったのかわからないくらいの混乱だったけど
私は変に冷静だったなーと、今になって思いますね。
私が一人で奮闘するしかない状況でしたし、おろおろしてる場合じゃなかったので。