2026/02/02

両親ふたりだけの生活は限界と思えた

その前に今現在の話。

両親とも、自分のPCとスマホを持っていました。

90歳前後という年齢を考えると「すごいですね!」と周囲の人からは言われます。


電話での通話以外に連絡手段があるということで、大変助かったのは事実です。

特に入院中や施設に入ってから。

本人たちはスマホを常にベッドの枕元に置いていたから、

メールでやりとりすることができました(母とはLINEも)


しかし!両親が亡くなった今、それらの「デジタル遺産」の処理で

私はかなりの手間と時間をとられています。

それについては、また別の機会に。2年前の話のつづきに戻ります。

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両親はそれぞれ別々の病院に入院することになりました。

コロナ禍のなごりで面会の制限がまだあったとはいうものの

医師やソーシャルワーカーとの面談、栄養指導などなど

毎日のように病院に通って大変でした。

それでもなんとか二人とも退院にこぎつけたのですが・・・。


当時、父の介護認定は「要支援2」

※今、これを書きながら「要支援1だっけ?2だっけ?」と。

 早くも記憶がおぼろげになってる!

ですが、「要介護じゃないなんて何かの間違い?」というくらい

あちこち不自由になっていて、日常生活に支障が出ていました。


また父が気にしすぎなところもあったのか、やたらと病院に行きたがる。

眼科、耳鼻科、皮膚科。

歩行も困難な父を連れての外出はそれだけで付き添う方は疲労困憊なのに。


私も母の入院中、父の世話をしていて「こりゃ大変だ!」と思いました。

このまま夫婦二人の生活に戻ったら、母がまた過労で倒れてしまう。


ケアマネさんの勧めもあって、父の施設探しが始まりました。

でもこれが、難航するばかりで、話はちっとも進みませんでした。

2026/02/01

両親それぞれが入院という事態

母は腎盂炎でB病院に入院。一応、腎盂炎という病名はついたけど、

そもそもの原因は過労とストレスであったろうと思います。

なので弱った体力を取り戻すために退院までには時間がかかりました。


父はそれまで、家の中でも外でも転倒を繰り返していて、

しかも筋肉も弱っていて、一度転ぶと自力では起き上がれない。

また転んで顔面を打って流血騒ぎとなり、救急車で病院に運ばれたことも。


そんな父と暮らす母は四六時中、気を抜けず、

また父の通院の付き添いも大変で心労が重なっていたのでした。

またそんな状態なのに不摂生を改めようとしない父へのストレスも

溜まりに溜まっていました。


母は入院することで、そんな気苦労からは解放されたのだけど、

問題は母の入院中、父をどうするか?

転倒を繰り返しているので、家に一人で置いておくのは危険。


というわけで私と妹が交代しながら、実家と自宅を行ったり来たりしました。

(飛行機か新幹線でないと行けない距離です)

私も妹もどうしても行けない時は、ショートステイを利用しました。

ケアマネさんがいろいろ手配して下さって、ありがたかったです。


そうこうしているうちに、父の心臓の具合がよくならないので

とうとうペースメーカーを入れることになり、

父はC総合病院で手術・入院となりました。


そしてその頃から、父の施設入居の話が上がり始めました。